【法改正】

2013年03月18日

~【風俗遊歩】1980年前後のラブホのベッドは・・・~

いうなれば、其れなりの“歳”ということなのか。この数年間、業界の“歴史”を刻印しておく必要に急き立てられている。
これが、業界で糧を食んできた、食んでいる者の役目なのではないだろうか、などと小欄なりに考えている訳だが、この思いがより強くなったのは、2011年9月25日以降だったように思う。
9月25日とは、業界でもっとも尊敬し、多くのことを教えていただいた先輩であり、師ともいえる、アイネシステムの元会長、小山立雄氏の亡くなられた日である。
小山立雄氏は1925年(昭和元年、10月4日)生まれ、86歳を目前にして、亡くなられた。氏が業界に残した功績はあまりにも大きく、果たした役割は小さくはない。ご性格の良さは教養の高さをも示した。一方で私生活の面では、ある種の成功した男性の多くがもっているような、“危うさ”も秘めていた。
この小山氏の、いわゆる“生きざま”に興味をもち、数年前から、業界の歴史を整理している。

そのための資料づくりとして、誌紙を漁っていたら、ドキュメント作家であり、ルポライターの足立倫行(あだちのりゆき・1948年~)の作品の中に、興味ある記事があった。

『人、旅に暮らす』・足立倫行・現代教養文庫

この文庫は、1987年5月に「新潮文庫」から刊行され、後に「現代教養文庫」として、1993年に再刊行されたもの。内容は、全国を走り回る12人のプロ・職人の生きざまが紹介されているのだが、その中の一人に、ラブホテルのベッド職人(?)・メーカーの「モールドベッド産業」社長、橋場功雄氏が登場している。

なぜ、12人かといえば、これは「新潮文庫」以前に旅行雑誌・月刊『旅』(日本交通公社刊のちに新潮社刊)に1年間、連載されていたからのようだ。

<国道127号線沿いにある千葉県君津市の十棟のモーテルは、ほぼ七割がた出来上がっていた。十数人の大工が、一月の房総らしい生暖かい雨の中、忙しそうに立ち働いている>から始まり、
<「モールドベッド産業」社長橋場功雄(39)はさきほどから飯場代わりに使用されている三号棟の部屋の真ん中に胡坐をかいて坐り>
<「八号棟がそういういい部屋なら、そうね、≪御所車」じゃなくてこちらの≪本御所≫はどう、幌付きで六十五万円だけど?」>

これは、文庫本の刊行年月、雑誌の連載等から推察すると1985年(昭和60年)前後のことであろう。1985年といえば、いわゆる「新風営法」が施行された年でもある。この年の「店舗型4号(当時は3号)」の件数は、10,817店を数えている。また、この「新風営法」によって、条文の中に初めて“ラブホテル”(行政的には“類似ラブホテル”という表現もしている)なる単語が登場し、行政の解釈を示している。

当時、業界で注目されていたベッド業者の中には、「モールドベッド産業」の他に、「大阪通商」・「クィーンズベッド」・「日産ベッド」・「ビケン」・「伊和貿易商会」などがある。この中で、「クィーンズベッド」と「伊和貿易商会」は輸入ベッド(主にヨーロッパ)であったが、他は“創作ベッド”であって、いわゆる特注ということになる。これは、現在の規格品(?)ベッドがマットを含めても10万円以下であることと比べると、いかに高額であったかが理解できようし、ベッドが集客の要でもあった時代というわけである。
前年、1984年には「アイネシステム」が設立され、大阪では「リバティ」、「もしもしピエロ1号店」等がオープンしている。この年の事件としては、未だに解決されていない「グリコ森永事件」が発生した年であり、「トルコ風呂がソープランドに」なった年でもあった。

橋場は<商品写真の載ったアルバムをゆっくりと押し出した。≪京都≫、≪カプセル≫、≪王冠≫、≪ハリウッド≫、≪御所車≫、≪本御所≫・・・、殺風景な部屋の中で、金色と赤色をふんだんに使った絢爛豪華なベッドの写真の数々が、そこだけ光を集め、秘密めいた輝きを放つ>

≪京都≫≪カプセル≫≪王冠≫≪ハリウッド≫≪御所車
≫≪本御所≫。これらはいうまでもなく、今日では殆ど聞くことのできない、ベッドの名称である。1985年の「新風営法」以降も存在はしていたであろうが、「回転ベッド」「動く・振動するベッド」は法規制がかけられた。

<岩手県盛岡市は氷点下の六度>
<鉄筋コンクリート四階建て≪ホテルエンペラー≫は、市内南大通一丁目、盛岡城の裏手の繁華街の一角にあった><部屋数十四。オーナーは東北一帯に二十軒からのトルコ風呂を持つ地元の実力者だという。橋場は、このホテルの件ではこれまですでに二回盛岡にやってきた。三回目にあたる今回は、設計変更を見越しての現場での寸法確認と、電気業者との配線の打ち合わせが主な目的>
<「空調が五百ミリ出るわけね。なるほど。そうすると、こっちは千百五十のスペースがあるから、そうね、ベッドの枠をここまで持ってくると・・・」>
<特注ベッドは文字通り特別注文ベッド。部屋ごとに間取りや内装の異なるこの種のホテルに合わせ一台一台製作する手造りのデザイン・ベッドだが、こうして内装以前の部屋を見てみると、なぜ特注なのか納得が行く。この段階でベッドの大きさと位置を微妙に調整しないと、電話や照明の配線、それに天井の高さまで変わってくるのだ。もちろん橋場が床に描くチョークの線は部屋の圧倒的な面積を占めてもいる。ベッドは主役だ>
<「じゃあ次に向きですね。北枕? いえ、そういうのはこの業界ではいっさい関係ありません>
<「男の位置はベッドに向かって本来左側なんです。すると、こう身体を起こしてこう手を伸ばしますね。スイッチはだから、ここらへん、右側にきますね。スナップスイッチはウチの方でつけますから、電気屋さんの方で、そうね、このあたりまで線を持ってきてもらいましょうか・・・」>
<ラブホテルは外装・内装には女性客の嗜好を反映させるが、部屋の機能的な側面はすべて男性客中心>

<昼前に盛岡での仕事を終えた橋場は><急遽予定を変更><一関の≪ホテル芭蕉≫を訪ねることにした>
<「一度仕事をさせてもらったお客さんのところへは、暇を見つけて顔を出しておくのが商売を長続きさせるコツ」>
≪ホテル芭蕉≫は<国道4号バイパスから少し入った山の中、十二棟のモダンな一戸建て建物がひっそりと雪をかぶって眠るように建っていた>
<「うわァ、橋場さん、東京からどもども。けど、弱ったなァ、いま一ッ番忙すい時で、ゆっくり話さすてるヒマねェんだわ。ほら、これ見てくれや」>
<平日の午後三時、全棟は満室だった>

<「短期間で発展した業界っていうのは幾つもあるけど、この十年間をとってみたら、ラブホテル業界がトップでしょうね。なにしろほとんどゼロから出発して、いまや年間売り上げ一兆円っていいますから」と橋場はいう>
<「不況に強いでしょ、好況に強いでしょ、景気に全然左右されませんものね。食欲、性欲、教育、この人間の三大欲求に関わる商売ってのは、確かに強いですよ」>と橋場はいう。

ここで、小欄としては若干の異論がある。それは、<短期間で発展した業界><ほとんどゼロから出発>とあるが、ここに登場してくる“ラブホテル”は「モーテル」であって、モーターリゼーション(自家用車が200万台に達したのは、1959年<昭和34年>)以降の状況だ。
つまり、「ラブホテルの源流」は、民族学者・国文学者の樋口清之(1909~1997年)がいうように、「江戸後期の<お手引き茶屋><出会茶屋>」が正しいように思える。その流れは戦後の<連込み旅館><逆さクラゲ>となり、モーターリゼーションとなって、「モーテル」の誕生ということになる。そして、「ラブホテル」の今日を迎えるという流れだ。

また、ある文献によれば、1932年(昭和32年)頃、「エロ空間(あきま)業」なる商売が誕生している。これは、「銀座で<空家>の貼札や<短期貸家>の広告が目立った。<下宿人も置かずにもうかるこの空き間業には堂々たる素人や電話持ちもある。警視庁のカフェ―取締りの眼が光って生まれた新風景で、円タクの遠出も危ない、旅館ホテルは高すぎるうえに臨検が怖い、そこを狙ったのがこの<空間あり>1晩2円也。<ちょっと一晩見せてもらいたい>の2人連れで大繁盛。絶対安全地帯というのでますますふえる一方だった、という。相手は、バー、カフェ―の女給が多かったが、素人相手の利用も盛んだった」そうだ。
ちなみに、「モーテル」の1号は、1959年(昭和34年)・神奈川県箱根町とされている。

<現在、日本には約七万軒のホテル・旅館がある。そのうちおよそ二万軒がモーテルでありラブホテルであると言われている。正確な軒数は、わからない><石油ショック以後も増え続け、急成長している“産業”であるのは確かだ><一関のモーテルのマネジャーも「この業界じゃ日に三回転は普通、夏と冬のシーズンには五回転はさせます」という>
<モーテル、ラブホテル専門の業者が多数現れ、我が世の春を謳歌しているのも道理だ。専門業者は、建築設計家・内装業者・布団業者とさまざまだが、ベッド業者は全国で十社。社員数十五名・年商一億五千万円>

<ベッド本体が回転したり震動したりする機械仕掛けのベッドが出回ったのは昭和四十四年から四十八年にかけて、最盛期は四十九年。だが、電気系統の故障が相次いで現在では大半のベッド業者が生産を中止している>

昭和43年(1968年)からのモーテル軒数を見ると、

昭和43年(1968年)・1413店
昭和44年(1969年)・2310店
昭和45年(1970年)・3958店
昭和46年(1971年)・5400店
昭和47年(1972年)・5919店

というように、凄まじい数の「モーテル」が誕生している。ちなみに、ラブホテルの象徴ともいえる「目黒エンペラー」(社長・里見耀三)は1973年(昭和48年)にオープンしている。ここから、「ラブホテル時代」に入ったともいえよう。

<「私らはお客さん次第ですからね。お客さんが望めば、いくらスケベなものでも、マジメ人間としてマジメに作ります。だけど機械モノはお客さん自身がもう飽きちゃったんですね。お客さんもわかってきたわけです。ベッドはやはり、ゆったりしたものに限る」と>橋場は発言している。

<ここ数年の主流は「外見は豪華、構造的にはしっかりしたもの」だと言う。見た目の「豪華さ」は利用客のため、構造上の「堅牢(けんろう)さ」はオーナーのためである。普通、家庭用ベッドのマットレスにはト―ションバー・スプリング、ホテルなど業務用にはコイル・スプリングを使用するが、特注ベッドではより強固なダブルコイル・スプリングを使う。ベッドを酷使する度合が違うからだ。使用するダブルコイル・スプリングは約四百個。「どう配分して埋め込むかが各社の企業秘密なんです。でもね、どんなに頑丈に作っても、まず三年もてばいい方ですね。固い固いスプリングが、三年後に取り出してみるとペシャンコになっていますよ。家庭用のベッドなら半年ともたないでしょうね。あの力の激しさといったら、そりゃ凄いものです」>と橋場の感想を記している。

また、橋場の業界に対する基本的な考えなのか、橋場がホテルオーナーに「社長、これだけは言っておきますけどね。幾ら儲かっても十%の営繕費用、これは別にしておいて下さいね。いや、私がベッド屋だから言うんじゃなくて、社長のためなんです。多いんですよ。儲けた金全部使っちゃって三年も四年も内装を変えないオーナーって。そんなんじゃ、一時はよくてもすぐ売り上げが頭打ちです」とアドバイスする。


本書の物語は「旅」をキーワードに活動する、各業界のプロを採り上げている。
橋場功雄氏は、「ラブホテルのベッド屋」としての登場だ。したがって、本書の意図とは相違するかもしれないが、業界の時代背景と併せて読むと、なかなか面白い。

なお、橋場功雄氏とは30数年前に数回、お会いしている。

また、本書(「現代教養文庫」)を発行していた「社会思想社」は、今はない。


レジャー・ラブホテル経営の情報発信基地
http://www.teidan.co.jp
(株)テイダン 店主 湯本隆信
yumoto@teidan.co.jp

*只今、「LH-NEXTショッピングモール」に業務用商材が満載です。一度、覗いて見て下さい。
「LH-NEXTショッピングモール」は下記バナーからどうぞ。



kanban-web02

LH-NEXTショッピングモール

レジャーホテル/ラブホテル/各種ホテル・旅館に関連する商品を掲載する、業務用のネットショッピングサイト

365日・24時間、毎日が展示会・即売会!



teidan at 11:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)