~「もしもしピエロ」2店舗、家宅捜査~~(社)日本レジャーホテル協会・関西本部が例会・セミナー・懇親会を開催~

2010年03月02日

~高安富蔵さんの一周忌法要~

IMG_2439某月某日

 高安富蔵さんの一周忌法要が、先日(28日)、由緒ある宝塚ホテル(兵庫県宝塚市)で営まれた。参加者は40数名。会場には、祭壇が設けられ、住職による御経まで唱えられた。それはそれは、品のあるこざっぱりした、清楚な“偲ぶ会”でもあった。

 高安富蔵氏が亡くなられたのは、昨年の3月10日。88歳であった。
 老生が故人と始めてお会いしたのは、1980年頃か、30年ほど前である。
 当時、レジャーホテル・ラブホテル(多くはモーテルであったが・・・)の経営情報はほとんどなく、唯一あったのは、前職で開催していた“モーテル・ラブホテルの経営セミナー”であった。その講師の一人として、お会いしたのが、高安氏であったように記憶している。氏は、この2年前の1978年(昭和53年)に、近畿二府四県を対象とした「近畿ホテル旅館協同組合」(当時の厚生省環第427号)を結成し、理事長に就任、80年には第一号の「組合員名簿」を作成している。その組合員名簿をみると、組合員数は328名を数え、出資証券発行は1,200万円(1,200口)、支部数は13支部となっている。特筆すべき点は、組織内の各委員会だ。総務・物資・事業・会勢・保険・省エネルギー対策などの委員会の在り様は、これからのレジャーホテル・ラブホテルの勢いを感じさせるものでもあった。

 老生は前年に初めての業界誌(年鑑誌)、『レジャーホテル百科1982』を担当していた。担当していたとは言っても、内情は一人で創っていた、ともいえなくもない。この創刊号は、今日のレジャーホテル誌の源流とも言えようし、老生の原点ともいえる。この創刊号に高安氏は、巻頭座談会に参加してくださった。他の出席者は、「モテル京浜」の中嶋孝司氏、「目黒エンペラー」の里見耀三氏であったが、高安氏は「ホテル太閤」を始め5店舗のホテルを経営、一方で組合の理事長でもあったからか、随分と鼻息が荒かったことを、記憶している。
 この創刊号を機に、お三方には業界の全てを教わり、面倒を見て頂いて、大いに勉強させていただいた。今でも、感謝の気持ちは、忘れてはいない。何しろ、中嶋孝司氏は日本で初めての“モーテル経営者”であり、里見耀三氏は、いわゆる“ラブホテル”の開発者ともいえるわけであるからだ。
 その後も高安氏とは、たびたびお会いし、多くのホテル経営者・業者等をご紹介いただき、さまざまなアドバイスもいただいていた。

 法要の主催者である奥様の、高安順子(よりこ)さんは「私が高安と出会ったのは、彼が44歳、私が24歳の時でした。それから長い年月が経ちましたが、結婚したのは10年ほど前のことです。私は、三番目の妻でした」と、明るくいう。
 それぞれの人生には、それぞれのドラマがある。日々、大切に生きたいものだ。振り返ればお三方とも、既に今はいない。

 隣家の梅の蕾が大きくなってきました。春ももうすぐですね。お大事に。

 昨年、10月7日から開設したショッピングモール(18社・約1,500アイテム)(https://shop.lh-next.net/)が、お陰さまで好調に推移しております(弊社のネット姫こと、青木由香がニコ~)。そのご注文の時間帯を見て思わず、“お疲れさま”と言いたくなりました。なぜなら、夜中の2時・3時の注文が多いのですから。レジャーホテル・ラブホテル経営の大変さを実感しました。どうぞ、お身体を大切に。

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yumoto@teidan.co.jp

レジャーホテル・ラブホテルの経営情報発信基地
(株)テイダン 店主 湯本隆信



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